エヴァの告白 ― 2014年11月30日
生きようとすることが罪かって?そうだよ、だけどそんなことはどうでもいいんだよ、惚れちまったんだから。
エヴァの告白 (原題: The Immigrant)
この映画、日本では「ただ生きようとした、それが罪ですか」というコピーで宣伝していた。それは、つまり、エヴァが生きていくために、身を売ったり、盗みを働いたりするのを、あの状況では仕方がないよね、身寄りのない女がひとり生きていくのは大変だよね、という意味だ。それは、「生きていくのは大変だ」という想いを抱えた観客に共感を呼ぶことを狙っているんだと思う。生きるために犯す罪は、責められるべきものではない、という許しを得たい人はけっこういるに違いない。
それはそれで、この映画の分かりやすい解釈の一つだと思う。男女どちらの観客にも共感する人はいると思う。
でも、男は、ブルーノに共感することもできる。ブルーノはエヴァに惚れてしまった。もうそうなってしまったら、他のことはどうでもいい。エヴァの振る舞いが罪だろうが罪でなかろうが関係ない。ひたすらエヴァを助けたいだけ。
ただ一つ、エミールにエヴァを取られるのだけはがまんできない。昔のいきさつも色々あるらしいけど、もっと本能的に、惚れた女を他の男に取られるのは嫌で、だからエミールのことになるとブルーノは逆上する。芝居小屋から追い出される羽目になろうが関係ない。
ブルーノの頭の中にも、エヴァにのぼせ上がった部分の他に冷静な部分はきっとある。冷静な部分から見ると、エヴァは顔がきれいでブルーノの商売に役立ちそうな、倫理観のちょっとルーズな女に過ぎない。エヴァは飛びぬけて美しいために、そうでない他の女たちには得られない特別扱いをブルーノからもエミールからも受けている。それは他の女たちから見れば、ずるいだろう。
エヴァが自ら進んで動いたのは、ごくわずか。それも他人の好意にすがりにいっただけ。もちろん、他にエヴァに何ができたわけでもない。けれど、「それが罪ですか」と開き直っていいことではないと思う。
けれど、好きになってしまったらそんなことは関係ない。そんなこと考えもしなくなる。エヴァに幸せになってもらいたいだけ。思うのは、そのために自分に何ができるかだけ。
以下、ネタバレを含みます。
ブルーノは結局、最後にはぼろぼろになって、エヴァを助けるための金も工面できなくなる。エヴァがその金を自分でなんとか用意したとき、ブルーノにできたのは、エヴァの妹をエリス島の検疫施設から引き取るコネを紹介することだけ。そのコネと話をつけるための金はエヴァが自分で用意したもの。そしてもう一つ、ブルーノはエヴァを手元においておくのをあきらめて、エヴァを西海岸に送り出した。ブルーノ自身の未来はもう破綻している。殺人犯として捕まるのも間近……
惚れた女を助けるために、滅んでいく男、って構図がぐっとくるんですよ。健さん映画に通じるものがある。
え、エミールには共感しないのかって?共感する男はいるでしょうね。
ただし、イケメンに限る。
あとは、思いつくまま。
うちの奥さんが、見終わってから、「なんでこんなしみったれた映画見せたの」とご立腹。陰鬱な、けだるい気分が続いて、派手なシーンや陽気なシーンがないのがお気にめさなかったらしい。最初から最後まで、画面の色調がセピア色。フィルターかけてあるのかというと、そうでもなさそう。当時の照明の色によるんじゃないかな。
いや、だって、ほら、「映画上級者」を自称する君にぴったりだと思ったから。imdbのスコアも6.6で、さほど高くない。批評家の評価とか、Rotten Tomatoesの評価は高いのだけど。僕がなんで気に入ったかって?飛行機の中でみて、エヴァに惚れたブルーノに感情移入しちゃったから。
マリオン・コティヤール、きれいだとは思っていましたが、この映画で初めて、魅力的だと思いました。今まで見たのが、インセプションとダークナイト・ライジングでの脇役だけだったからかも。うちの奥さんが、「この人いくつ?まだ若いよねぇ」というのでググッたら、1975年生まれ。僕はそんなもんだろうと思ってたけど、うちの奥さんは驚いてた。最近のアラフォーはうかっとすると20台に見える瞬間がある。
ウルフ・ホール (Wolf Hall) がTVドラマに ― 2014年11月16日
嬉しい。すごくうれしい。見られるようになるのが待ちきれない。まだ、イギリスでも放送は始まっていないけど、それがDVDになって日本から買えるようになるまで、あとどのくらいかかるだろう。来年の夏頃には入手できるかな。
Wolf Hall (TV Mini-Seriese) (邦題未定、ウルフ・ホール)
たまたま、imdbで Damian Lewis を調べていて見つけたんだ。 Damian Lewis は、バンド・オブ・ブラザーズのウィンターズ少佐の役をやった人。まぁ主人公といってもいいでしょう。群像劇なので、主要登場人物は何人もいるのだけど。
Damian Lewis の出演作品のリストをぼーっと眺めていたら、あれ、Wolf Hall があるぞ。これはまさか、ひょっとして。
imdb の Wolf Hall のページに行って、登場人物と俳優の一覧を眺める。主役のトマス・クロムウェルの配役が見当たらない。けど、サフォークとかノーフォークはいるなぁ。シーモアとかいるなぁ。あ、スティーブン・ガーディナーがいる。この俳優の顔は見たことあるぞ。 Mark Gatiss って、SHERLOCK のマイクロフトじゃないか!!おおお。
ふむふむ、あ、やっぱりアン・ブーリンがいる。マーク・スミートンもいるぞ。ジョージ・ブーリンもいるし、あ、アン・クロムウェルって役で子役が出てるぞ。ああああ、トマス・モアがいるー!
そのすぐ後ろにいる Damian Lewis は、えーっ、ヘンリー8世なのか。これはまた、人の良さそうなヘンリー8世だなぁ。
おお、ウルジーもいる。ウルジー、ああウルジー。 Jonathan Pryce って何やったひとだっけ。
そして、ついにトマス・クロムウェル発見。 Mark Rylance? なんだか聞き覚えがあるぞ。えーと、これは、あれだ。昔ロンドンに遊びに行ったときに、 Apollo Theatre で見た舞台劇 Jerusalem の主人公をやってた人じゃないか!
"And did those feet in ancient time..."
たまりません。
The Salvation (悪党に粛清を) ― 2014年10月13日
渋い、絵になる、美しい。
The Salvation (邦題: 悪党に粛清を―2015年3月8日追記)
お話は、西部劇の王道を行く復讐譚。ちょっと珍しいのは、主人公が北欧系の移民なことか。
7年ぶりに再会した妻と息子を殺されて、すぐさまその仇を撃ち殺したものの、こいつがこの辺りを支配する悪党の弟か何かだったせいで、この悪党に狙われることに。
ストーリーは極めて予想通り。ドイツ語吹き替えで見たので、分からないセリフもあったのだけど、何も困らないくらい先行きの想像がつく。
それでいて、満足感が高いです。
カッコつけているのとは違う。自然体なのに、すでにキマっている。
なんだか、西部劇をこんなに高解像度で見たことはあまりない気がする。西部の荒野は吹き渡る砂で視界をさえぎられているのだけど、にも関わらず景色が奇妙にくっきりとしている。
主役の二人はどちらも寡黙です。ほとんどセリフがない。ヒロインのエヴァ・グリーンなんてほとんど目ぢからだけで演技。目の大きいエヴァならではの技。
マッツ・ミケルセンとエヴァ・グリーンと言えば、007 カジノ・ロワイヤル(デビッド・ニーブンの方じゃなくて、ダニエル・クレイグの方だ)で共演していた二人。マッツはあっちでは悪役だったが、今回は主人公。エヴァはヒロイン=悪党の情婦で出演。
と思ったら、ダニエル・クレイグも出て…来たりはしない。昨日記事にした シェフ といい、これといい、なんかそういうパターン流行ってるのかな。
監督のお友達でいろんな映画撮るってのは珍しくない。クリストファー・ノーラン監督のインセプションに出ていたジョセフ・ゴードン・レヴィットやマリオン・コティヤールが、同じ監督のダークナイト・ライジングにも出てくる、とか。
ただ、こういう場合、脇役は何度も同じ顔ぶれで出てくるけど、主役は入れ替わるものらしい。
この映画の監督は、カジノ・ロワイヤルとは違う人なので、どういうわけでマッツとエヴァの共演がまた起きたのかは、よく分からない。
以下、ネタバレ。
これは、どこかの英語かドイツ語のレビューで読んだ話なのだけど、どこのサイトだったか分からない。
この The Salvation =「救済」という題名は、キリストによる救済を示唆していて、村人に裏切られて悪党につかまり、木の柱につるされる主人公は、弟子に裏切られて十字架にかけられたキリストのメタファー。
村の人々は、保安官を含めて悪党の支配に対して無力。主人公が村に姿を現すと、わらわらと現れて取り押さえ、悪党に突き出す。
その後、弟に救出された半死半生の主人公は、荒れ野に隠されて追っ手の目を逃れ、生き延び、やがて反撃を始める。これはキリストの復活を表す。
そういうわけで、エヴァが演じる悪党の情婦の名は、Madelaine、つまり、マグダラのマリア。
「マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届ける証人」 ( Wikipedia)
Chef (シェフ 三ツ星フードトラック始めました) ― 2014年10月12日
楽しくておいしそうでご機嫌なコメディ。テンションの上がり方では、ここ数年見た映画の中で一番かも。
Chef (邦題未定:シェフ、ただし下記参照)
[2015年2月7日追記:下記通りの邦題で2月28日から日本公開だそうな。]
カールはロスのレストランの雇われシェフ。腕には自信があるし、部下たち=厨房仲間の信頼も厚い。でも有名批評家に酷評されて、大勢の客の前で批評家を罵倒してしまい、その様子が Youtube で広まって、くびになる。で、心機一転、昔住んでたマイアミに戻り、屋台バスを仕入れて自分の店を開店。行く先々の街で営業しながらロスまでバスを運ぶ、大陸横断旅行を始める。
くびになったりするものの、カールはリア充。元妻はやり手の実業家で、離婚してからも仲は悪くない。元妻が引き取った10歳の息子にも慕われている。その一方で、レストランの接客係兼ソムリエの女性とも付き合っている。
アイアンマンの監督兼脇役でも出ているジョン・ファヴローが、この映画では監督兼主役。 同じくアイアンマンに出ていたスカーレット・ヨハンソンもカールの恋人=接客係役で出演。
と、思っていたら、アイアンマン=ロバート・ダウニー・ジュニアも出てきたので驚いた。カールの元妻の元夫。
ジョン・ファヴローと仲間たち、で作った映画らしい。
腕の立つ料理人が主人公の映画なので、次々とおいしそうな料理が出てくる。完成品だけじゃなくて、鮮やかな手つきでねぎをみじん切りにするところや、鉄板の上で慎重に焼き加減を見ながら作っているところも。その辺、「料理の鉄人」っぽくもある。あ、ここにも鉄人=アイアンマンつながりが。
Twitter、Youtube, Vine, Facebook などSNSがモチーフとして出てくる。カールの息子は10歳にして色んなSNSを使いこなしているが、カールはTwitterが何かも知らない。返信ツイートはあて先にしか見えないと思い込んで有名批評家のコメントに悪態を返し、話題になってしまう。
Sherlock とか、フライト・ゲームでもそうだけど、登場人物がTweetした内容が画面上にオーバーレイされて見えるようになってる。おまけに、Tweetを書き込んだ際に聞こえる口笛のような音が頻繁に聞こえる。Twitterとタイアップしているとしか思えない。
カールはレストランのフルコースが作れる本格シェフなのだけど、屋台バスで売るのはキューバ式ホットサンド。スペイン語でクバーナ。元妻の父親がキューバ系で、今もレストランでキューバ音楽を演奏している。
クバーナいいねクバーナ。飛行機のエコノミークラスの、3列の真ん中席で、リズム取り始めたのは私です。ごめんなさい。そのくらいご機嫌。
一つネタバレ、コーンスターチ (^_^)。アメリカ南部を走る屋台バスの中は蒸し暑い。手伝いにかけつけてくれた、厨房仲間のマーティンは、バスのハンドルを握りつつ、コーンスターチを自分のパンツの中に流し込む。それを見ていたカールの息子はびっくりして父ちゃんに言いつけるけど、カールは「お、そりゃいいね」と言って自分もコーンスターチを一掴み、パンツの中に振りまく。「お前もやってみるか。ベビーパウダーみたいなもんだよ。」そうかぁ、そうなのかぁ。来年の夏は片栗粉でも撒いてみるかな。
めっちゃ楽しくていい映画だと思うのだけど、imdbのユーザーレビューでは、酷評が目立つ。平均評価は7.3 (10点中。僕は6点台なら割と安心して見に行くことにしてる)、メタスコアも68点とかなりいいんだけど、具体的なユーザーコメントを見に行くと、星一つとかめちゃくちゃけなされている。
あまりにも先が読める、本格シェフが屋台バスとかありえない、前妻の前夫がおんぼろとはいえ屋台バスをくれるなんてありえない、あんなに離婚した父親になついている息子なんて(以下略)、Sous Chef に昇進したばかりの厨房仲間が、その仕事をほっぽらかして屋台バスに駆けつけるとか(以下略)、ジョン・ファヴローのお友達の友情出演ばかり、等々。
リアリティがないのを怒っている人が多いみたいだけど、映画ぐらい、おとぎ話でいいじゃん。別れた妻と、友達でもいいじゃない。よりを戻して再婚してもいいじゃない。
ちなみに、Rotten Tomatoesでのスコアは88%で、すごくいい。
今年の東京国際映画祭でも上映するそうです。10/26(日) 10:30から六本木で。
なんじゃその邦題は、と思うけど :P お時間と、リアリティがないのを許すかたはぜひ。
太平洋戦争のアメリカ側 ― 2014年09月14日
バンド・オブ・ブラザーズを見たら、その勢いでザ・パシフィックを見ないわけにもいかない。 で、レンタルビデオ屋で借りてみている途中で、NHKが丁度、ペリリュー島の戦闘に関する番組をやっていた。
NHKスペシャル「狂気の戦場 ペリリュー~“忘れられた島”の記録~」
アメリカの公文書館で、何十年かぶりに見つかったペリリュー島の戦場を撮影したビデオを元にした番組で、これを見るとザ・パシフィックが戦場をよく再現しているのが分かる。すくなくとも見た目のレベルでは。
この番組の末尾で、ジョン・ダワーという大学の先生が出てきて語っていて、どこかで聞き覚えのある名前だなと思ったら、家に本があった。
容赦なき戦争 ジョン・W・ダワー (War without Mercy, John W. Dower)
副題は「太平洋戦争における人種差別」となっており、戦争中、日米双方で敵のことをどのように語っていたかを、たくさんの事例を挙げて語っている。
家にあったのだから、以前読んだはずなんだけど、あまりちゃんと読まなかったらしい。
日本側は「鬼畜米英」って言ってたわけだけど、米国側の日本人に対するイメージは、戦前、戦争初期、戦争の後半で色々変わる。
戦前は、日本人のイメージは、「ちっぽけな黄色いサル」で、31文字からなる詩を作るのに熱中したりする、奇妙な、でもたいしたことはできないやつら、だったらしい。やつらには近代兵器をまともに使いこなすことなど、とてもできない、と軍でも高をくくっていた。ところが、太平洋戦争初期、日本軍は連戦連勝し、一気に支配を太平洋の西半分に広げたので、逆に、やつらは超人的な能力をもっている、という神話が生まれた。ただ、どちらにも共通しているのは、同じ人間としては見ない、ということだった。
そのうち、戦場で間近に相対するようになって、米国の兵士は、日本人が降伏しないこと、初期にはバンザイ突撃、後期には地下トンネルにこもっての徹底抗戦など、米国側には理解しがたい振る舞いをすることを知る。すると、日本人は殺しても殺しても湧いて出てくる虫だ、というイメージが作られていった。そういう虫に対しては、「駆除」という処置しかない。日本にも民間人の銃後の暮らしがある、ということは意識されず、日本人は全滅させる必要がある、と思っていた人も兵士の中には多かったらしい。
これを読んで、初めて理解したのが、スターシップ・トゥルーパーズに出てくる異星の敵「バグ」はまさに戦中の米国人が持っていた日本人に対するイメージそのものであること。虫の姿をし、普段は地面の中のトンネルに隠れていて、出てくるときは殺しても殺してもきりがないほど無限に湧いてきて、一匹一匹が完全に息の根を止められるまで獰猛に戦い続ける。
結構気が滅入る。
そうこうするうちに、ザ・パシフィックも見おわって、やはりドラマとしてみる分には素晴らしく、もう少し知りたいと思って原作の一つを買った。バンド・オブ・ブラザーズと違い、ザ・パシフィックには複数の原作がある。そのうち、ユージーン・スレッジが書いた本がこれ。
ペリリュー・沖縄戦記 ユージーン・B・スレッジ (With the old breed: at Peleliu and Okinawa, Eugene B. Sledge)
読み始めると、すぐ引き込まれて、あっというまに読み終わった。ザ・パシフィックを再体験しているようでもあり、またまったく違った側面も描かれている。
絶え間なく何日にも渡って降り注ぐ砲弾と銃弾と激しい雨。これが続く間は兵士にできることはあまりなく、生きるか死ぬかは運次第。
もっと悲惨な描写が出てくるけど、それをここで繰り返してもしょうがない。
バンド・オブ・ブラザーズにもあったけど、人気のある指揮官とない指揮官の話はザ・パシフィックにも上記の戦記にも出てくる。スレッジが最大限に賛辞を送っているのは、アンディ・ホールデイン大尉だ。彼は戦闘指揮がうまかったというよ りも、狂いそうになる戦場で、部下の心を支え、守られている気分にさせた人として描かれている。その後を引き継いだスタンリー中尉もまずまずだったようで、戦記の沖縄編に序文を提供している。
一方、沖縄編にでてくる、マックという士官(彼の階級が書かれている箇所はみあたらなかった)はひどかったようだ。
彼は、沖縄戦が始まる前に、スレッジがいる迫撃砲班の班長になり、日本兵に出会ったらこうやっつける、ああやっつける、という話をさんざんして、古参兵を辟易させる。沖縄につくと、本格戦闘が始まる前の比較的平穏な偵察の途中、スレッジたちが散開している間に、道端の動物の骨を撃って、銃声を響かせる。スレッジたちはてっきり日本の狙撃兵が現れたと思って警戒しながら駆けつけるが、真相を知って激怒する。その上、マックは日本兵の死体をここに書けないような形で侮辱するのを常としていた。
スレッジは、こんな男が海兵隊の士官だと思うとやりきれない、と書いている。この男も、実際に砲弾の雨に巻き込まれてからは、大口を叩かなくなったそうだ。
ザ・パシフィックを見ていても、ペリリュー・沖縄戦記を読んでいても、不思議なのは、米軍兵士があれだけ死傷率の高い戦場に、そうと分かっているのに命令を受ければ出撃していくこと。
日本軍なら、命を惜しむことを恥と教えたそうだから、どんな無茶な命令にも逆らわなかったというのはそんなもんだろうと思う。でも米軍は、アメリカ人は、負傷兵はかならず救助して戦線より後方に送り、無茶な突撃はせず、弾薬も食料も補給は絶やさず、ある程度兵士をローテーションして休ませるなど、基本的に戦場といえども兵士の命を無駄にすることは避ける姿勢がある。
にも関わらず、死傷率80%を越える戦場に送り込まれると分かっていても兵士が従うのはどういうわけか。
兵士達がどんな命令にでも従うわけではない。ペリリュー・沖縄戦記には、沖縄戦があらかた終わってから、あちこちで腐敗しつつある日本軍兵士を埋める作業を命じられて、命令拒否した古参兵たちの話がある。まぁ結局は説得されて作業をしたのだが、しかし、戦場に赴くにあたって死傷率が高いことを理由に命令拒否した兵士の話は出てこない。戦地に向かうのが、兵士達皆にとって、どれだけ恐ろしく、気の滅入ることだったかの記述はある。でも、命令拒否の話はない。
別の箇所には、仲間から自分だけが臆病者、卑怯者と思われたくない、という記述がある。また、スレッジたちは志願兵であり、徴集兵たちを見下していたこと、徴集兵たちも自分達が志願兵でないことを必死で隠していたこと、なども書いてある。なにか、そういう、仲間の目線を気にする気持ち、ぶっちゃけていえば格好付け、が一定の役割を果たしていたのだろうとは思う。
ただ、それだけで死傷率80%の戦いに向かえるとは思えない。