中華料理 堀内にまた行ってきた ― 2014年05月01日
昨日のお店が物足りなかったので、今日もまた食べに出かけた。ゴールデンウィーク、子供達が学校に行っていて、夫婦二人だけで出かけられる隙に、遠出しようかとも思ったけど、色々迷ったあげく、近所のお店に。
ここには前にも行ったことがあって、そのときも大変良かった。今日は、遠出しない分浮いた交通費を上乗せして、ちょっと豪華にしてください、とお願いした。昨日の今日なのに対応してくださってありがとうございました。
今日もとても美味しかった。季節感もばっちり。組み合わせも色んな傾向の料理が出てきて飽きない。
皿数も結構あって食べごたえがあったのだけど、美味しくて食が進み、どれもきれいに平らげました。お店の人は心配していたようで、何回か、最後の方で、「おなか具合は大丈夫ですか」と聞きにいらっしゃってましたが、全く大丈夫でした。
料理が出てくるテンポもいいし、結構混んでたのにちゃんと目を配っていただいてました。
今日いただいたのは、こんな感じ。うろ覚えだから間違いもあるかも。
シュウマイ
魚の油淋ソース
イカとエビとアスパラガスの炒め物
牛肉の四川風
空心菜とエリンギの炒め物
ねぎそば
デザート、ジャスミン茶
私としては、魚の油淋ソースがインパクトあった。魚と一緒に、小ぶりの茄子、かぼちゃ、レンコンなどの野菜が揚げてあって、見た目にも華やかで、初夏の爽やかな気分にとてもよく合うと思ったので。
牛肉の四川風も、押さえとしての貫禄がありました。家でも作れそうな料理ではあるのだけど、ああ行き届いた感じにはなかなか作れないだろうな。
デザートは4種類から選べて、私は杏仁豆腐にしたのだけど、これが普通の杏仁豆腐でない。潰した果肉の舌触りの分かるソースがかかった、ごま豆腐かと思うほど密度の高い杏仁豆腐。大当たり。
うちの奥さんは生ビールも一杯頼んで、私はドライバーだったので水だけで。その分料理は6:4か7:3くらい私の方が多く食べてました。私もビールを頼んでたら、食べきれなかったかな?
びっちんぐあにゃ? ― 2014年05月02日
こないだから、韓国語の勉強を再開している。道は険しい。
だからというわけでもなく、「コーヒーハウス」という韓国ドラマを見てる。で、やはり言葉がちょっとずつ聞き取れるのがうれしい。
で、このドラマの主要キャラの一人が、頷く時にいつも「どぅえー」と言う。「そんでぇ」の後半に近い。このキャラの口癖なのか、と思ってたんだが、ある時気がついた。これは、韓国語の教科書に「はい、yes」の意味の言葉として載ってる、「ねー」そのものだと。言い換えると、韓国語のYesに当たる네は、文字を見る限り「ねー」に見えるけど、実際の発音は「でぇ」に近いことがあるらしい。
韓国語のテキストの付属CDでは、最初の方の簡単な例文では「ねー」に聞こえるが、後半の、より自然な会話の中では、네はでぇに聞こえる。実は、気がついたのはこれを聞いたのがきっかけ。
そういえば、もうひとつ、このドラマの中で印象的だった罵り言葉で、「びっちんぐあにゃ」ってのがあった。「頭おかしいんじゃないの」ぐらいの意味らしい。綴りも分からないので、適当に辞書を引いて探そうとして、気がついた。韓国語には、バ行で始まる言葉を書く方法がない。あるのかもしれないけど、初級の教科書には載ってない。そうすると、この最初の「び」は一体なんだろう?
いろいろ検索したり、Google翻訳させてみたりするうちに、どうやらこれは、미친거 아냐? らしいと見当をつけた。「び」じゃなくて「み」だったらしい。
気がついてから、「韓国語 ネー デー」で検索すると、いろいろこの件の説明が見つかる。面白い。韓国人も意識していない発音の揺れらしい。日本語なら、鼻濁音を使うか使わないかみたいなもんかな。
さて、コーヒーハウス、面白いです。楽しいです。コメディーだと思って見始めたら、時々無用にシリアスな回があるのは、多分韓流ドラマのお約束なんでしょう。男2人と女2人のシチュエーションコメディーで、男1のイ・ジンスはイケメンですが無駄に人の心を傷つけまくってる嫌な奴、女1のソ・ウンヨンは、うちの娘たちと奥さんが口を揃えて「可愛い、美人」と褒めまくっていて、確かに綺麗。切ないキャラです。でも、私がこのドラマみてみようかなと思ったわけは、どちらかというと、女2のカン・スンヨンの方。ドジっ子で、ソ・ウンヨンほどの美人ではないけど、ひたむきな可愛さがあります。今週みた第15話のカラオケのシーンは可愛さ全開に。全18話で、まだ見終わってませんが、ここまでみてよかったと。うんうん。あ、男2のハン・ジウォンは最初単なる勘違い野郎として登場しますが、だんだん味を出し、存在感も増します。
残り3話も早くみたいのだけど、14話から、下の娘が一緒に見始めたので、勝手に先をみられない。早く宿題終わらせて、見よ〜よ。
アシモフ自伝 ― 2014年05月03日
アシモフの本が好きだ。ファウンデーションシリーズも、ロボットシリーズも、もちろん好きだけれども、一番好きなのは、アシモフが自分のことを語っている文章だ。アシモフの短編集には、しばしば各短編に前書きが付いていて、そこでその話を書くに至った経緯とか、そうでない話が好きなように書いてある。これがとても面白い。僕は本編よりもこっちが楽しみになってしまった。なので、アシモフの自分語りが思いっきり読める、アシモフ自伝が、僕にとって特別大事な本なのは、ごく当たり前なのだった。
と、言いつつ、長年ウチの書棚には4巻、いや、IIの下が欠けていた。大学の頃、サークルの部室にしばらく置いといたら、IIの下だけ戻ってこなかったのだった。諦めて、3冊だけずっと持っていたのだけど、先日、衝動買いで中古を入手して、めでたく4冊揃った。この記事はその記念。ドヤァ。
残念なことに、やっと手に入れたIIの下には、帯がついていない。これはショックだった。何年か後に、帯付きのIIの下をまた買ってしまうんじゃないかと思う。
僕はアシモフの本から色んなことを学んだつもりでいる。いわゆる「人生で必要なことは、すべて○○で学んだ」ってやつだ。
そのうちの一つについて、以下に書いてみる。
何かを分かりやすく説明するためには、一番最初のその前の、そのまた前から説明するといい。
アシモフは、小説ではない、ノンフィクションの解説本を山ほど書いている。そのうち、科学に関するいくつかは、早川文庫から出ている。その辺を読みふけって思ったのが、どうしてこんなに分かりやすく書けるのだろう、という感嘆半分、嘆き半分の感想だった。
そのころ、僕は論文の書き方を身に着けようとして苦しんでいて、指導してくれていた人から、何度も何度もダメだしを食らっていた。言われてみると、確かに自分の文章は意味が通じない。仲間内には通じるのだけれど、初めてその話を聞く人にも分かるようにはなっていなかった。分かる文章の書き方のヒントを求めて、自分なりに色んなものを参考にしようとした。アシモフのノンフィクションもその一つだった。
アシモフの文章は確かに分かりやすい。そしてその理由は、僕が見たところでは、話をとことん遡った大元の最初の初めのその3つ前、ぐらいから始めるところにある。彼のコラムの書き出しは、しばしばコラムの主題とは全くかけ離れたところから始まる。それが次第に展開し、やがて主題にきっちり繋がるところは本当に分かりやすく心地よい。
しかし、その手法は、自分の論文書きには使えなさそうだった。論文は与えられた形式を外してはいけない文章だし、ページ数も限られているので、話を遡るにはかなり制約がある。自分のコラムを持っていて、編集者の口出しを許さない実績を持つ筆者にしか許されない手法なのだった。
アシモフは、与えられた形式にそって文章を書くことを嫌っていて、戦時中、軍に所属していたときに、報告書の形式にあまりに細かい規定があるので、いたずらとして、その規定に逐一沿った、とても読みにくい報告書をわざと書いたことがある。ところが、その報告書は規定に沿っていると賞賛され、以降見本として使われたそうだ。これはアシモフ自伝 Iの下 36章1、67ページにある。。
一方、これとまったく逆の、黄金のアドバイスもある。これはアシモフ自身が、アシモフを見出した編集長キャンベルから言われたことだ。アシモフ自伝では Iの上の26章1, 342ページにある。
話の書き出しは、自分が一番書きたいと思うところから始めればいい。
これは、どちらかというと小説に当てはまることらしいのだけど、とにかく一番書きたいところから始めるとスムーズに書ける。その場面より前のシーンの話は、後の章で何とでも説明ができる。こちらの方が、素人にも真似しやすくて、このブログを書くときにも重宝している。
ところで、アシモフはこんな厚い自伝を書いても、まだ全然書き足りていなかった。そして彼が自分で言うには、彼がもっとも好んで書くテーマは、自分なのだ。なので、ある意味当然ながら、アシモフは(少なくとも)もう一つ自伝を書いている。
I. Asimov - A Memoir Isaac Asimov
これは、アシモフ自伝の続きではない。アシモフ自伝が時系列で書かれているのに対し、こちらはアシモフが書きたいと思ったテーマについて順不同で書いてある。アシモフ自伝よりはずっと後に書かれているので、カバーしている期間は晩年までを含む。アシモフ自伝は、彼の人生の半ばまでしか扱っていない。これが書かれたのは、ファウンデーションシリーズ第4巻の大ヒットで彼が「往年の」ではなく「現在の」ベストセラー作家としてカムバックするより前なのだ。
I. Asimov には、アシモフがなくなってから、奥さんの Janet が書いたあとがきがある。アシモフが自分で書けなくなってからの最晩年の様子までが書かれている。そういう意味で、最後はしんみりする。
それでも、そこに書かれている、有名なエピソードはなんだか元気が出る。ある晩、アシモフが起き出してきて、奥さんにしきりに何事かを言おうとする。
「私は……私は……私はアイザック・アシモフだ!」
僕も、そんな風に、死ぬまで自分のことが好きなままでいたい。
人類5万年 文明の興亡 ― 2014年05月12日
あ、翻訳が出てるじゃないか。
人類5万年 文明の興亡 なぜ西洋が世界を支配しているのか 上、下 イアン・モリス
原書 Why The West Rules - For Now について書いた記事 その一 その二。
さらにその種明かし本 The Measure of Civilization について書いた記事。
初版2014年3月25日とあります。今頃気がついたので買ってきました。読むのはこれから。
[追記2014年5月25日: 日本語版を読了。やはり端から端まで面白い。私の感想は、原書を読んだときと同じなので、以下に 「その二」の末尾で書いたことを再掲。
この本の翻訳は、きっと出ると思いますが、そうしたら書評を眺めてみましょう。もし、その書評が東洋と西洋の今後の優劣にこだわっていたら、それは殆ど評者がこの本を最後まで読まなかったことを告白しているようなものですから。そういう書評が、やっぱりいくつか出ている。皆いそがしいんだなぁ。
3月に出たばかりの本なのに、Amazonに在庫がないことが多い。突発的に17冊とか在庫があったかと思ったら、すぐなくなっている。で、中古が定価以上の価格で売りに出ているという…
筑摩書房のサイトには「在庫 問合せ」とか出ているし。あんまり初版をたくさん刷らなかったのかな?
私が買った、近所の大型書店では、最初平積みしてあって、一昨日みたら、棚に表紙が見えるように並べてありました。入手したい人は、リアルの本屋に走るとよいかも。]