冬の王ヘンリー7世(その2) ― 2012年07月26日
例の本を読み終わったので、少し続きを書いてみる。前回までのあらすじは こちら
そうそう、サフォークが目の上のたんこぶだ、って話だった。王位継承権があるようなないようなサフォークは、大陸に渡って、神聖ローマ帝国の皇太子、ブルゴーニュ公フィリップの庇護の下、オランダあたりでヘンリー7世打倒の隙をうかがってました。
フィリップはずっと金欠で、当時ヨーロッパ一金回りの良かったヘンリー7世に普段から色々資金援助を受けてましたが、あるとき、フィリップにスペインのカスティリアの王位継承権が回ってきます。当然カスティリアに王として乗り込みたいわけですが、そのための旅費すらない。で、いつものようにヘンリー7世に費用を借りて、オランダからスペインに向けて船で出発します。
ところが、フィリップの船は嵐に襲われ、マストの折れた船は、イギリスの南岸に漂着します。ニンマリするヘンリー7世。
直ちに、最大限の敬意を払った歓迎の準備が施され、かなり内陸に入ったところにフィリップ滞在のための美しい館も用意され、そして親善のための馬上槍試合が開催されます。フィリップは当時ヨーロッパ中で名高い騎士の一人で、ヘンリー王子、のちのヘンリー8世はフィリップに直接会えて大喜びだったらしい。今でいうならサッカーのスター選手に会えたようなもの。
ヘンリー7世は、丁重にフィリップをもてなしつつも、この先の旅費を用立てるかどうかは、サフォークの扱い如何にかかっていることを、きっちりフィリップに分からせます。
サフォークはオランダからイギリスに引き渡され、ロンドン塔に押し込められます。ヘンリー7世は彼を殺しませんでしたが、ヘンリー8世が王位について間もなく、処刑命令を出します。
で、王位争奪とか外交関係の話は実はこの辺までしかあんまりない。リチャード3世を倒して王になってからは、戦争するほど馬鹿じゃない、というタイプの王様だったみたいです。
その代わり、結構詳しく書いてあるのは、いかにして彼が臣下から金をしぼりとったか、ということ。あのう、税金とかそういうストレートなやり方じゃなくて、もっとねちねちとしたやり方だったそうな。
王の重臣たちが、 Council learned という非公式組織をつくり、ここのメンバーがありとあらゆる古文書を調べて、もう誰も覚えていないような古い法律や、古い証文を見つけては、それを根拠に金を持ってそうな貴族や市民に王の名前で召喚状を出します。これは応じないわけにはいかない。で、呼ばれた人が顔を出すと、全く一方的に「お前はこれだけの額、王に債務がある」と言い渡される。抗議すると、「王命に逆らうなら、新たに罰金を課す」と、債務が増えちゃう。執拗に抗議すると、そのまま牢獄に直行。
当時のイギリスは、王も法律に従う伝統が長くあって、王様が言えばなんでもできる国ではないはずだった。のだけど、実際にはこの辺からイギリスも絶対王政に向かい始めたようです。なにせ、 Council learned は、法律専門家の集団で、多分イギリス最強の法律家が集まっている。その上、王の名前で告発されているとなると、 Council learned の被害者の訴えを取り上げる裁判はまったくなかったそうな。
このヘンリー7世の集金メカニズムの中で、一番熱心に働いていたのが、エドモンド・ダドリーと、リチャード・エンプソンの二人。が、彼らはヘンリー7世から8世の治世にうつるタイミングで流れを読み間違えます。ダドリーとエンプソンの上司にも当たったリチャード・フォックスに陥れられて、彼らは反逆罪で告発され、処刑されます。ヘンリー7世時代の非道な集金マシンのシンボルとして。
ヘンリー8世の御世は7世のときと違って、裁判もなしに秘密の部屋で一方的な扱いを受けたりしない、透明性のある明るい社会。それがヘンリー8世が王位について直後の触れ込みだった。でも、集金メカニズムは生き残り、フォックス以降、次々と変わるヘンリー8世の重臣たちによって完成度を高められていったとさ。この重臣たちの名前もなんだかこの本を読んだり The Tudors を見てるうちになじみ深くなってしまった。
トマス・ウルジー、トマス・モア、そして トマス・クロムウェル。
「ヘンリー8世の三大トマス」として名高い(多分)連中の話をもっと色々読んでみたい。
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