今世紀の行く末を占う本4冊2015年05月04日

ここ半年ぐらいの間に読んだ本について、覚書。意図して選んだわけではないけど、共通テーマは長期的、歴史的な転換点としての現在。


資本主義の終焉と歴史の危機 水野和夫


資本主義の本質は、中央による周辺の収奪である。全世界が開発されつくしかけている今、周辺が足りなくなり、資本主義が機能しなくなりかけている。自己流に要約すると、この本の主張は、こんなところ。


そうであれば、新しい辺境=周辺を作ればいいはず。


電子・金融空間の創出は新たな周辺を創出する試みで、10年ほどはうまくいったが、もう効かなくなってしまった。


でも、電子空間が充分開発され尽くしたようには思えない。


他に新しい周辺を作ることもできるはず。宇宙は?月、火星はどうだろう。イーロン・マスクがんばれ。


でも、そういうことを言う前に、資本主義において、周辺はどういう役割を果たしていて、なぜ周辺はそのうち周辺でなくなってしまうのか、がよく分からない。


長い16世紀、イタリアの国土は隅々までオリーブ畑になってしまい、もう新しく開墾する土地がなくなってしまった。


20世紀の後半、世界中の多くの周辺国は植民地ではなくなり、都市化も進み、かつてのように好き勝手に収奪できる土地ではなくなってしまった。安い労働力の供給源だった国々でも平均賃金が次第に上がり、安い労働力は得られなくなった。


21世紀の初め、電子・金融空間は、規制緩和と通信・情報処理の高速化を達成した国や企業が、スピードの遅い国や企業を出し抜く形で賑わった。ただ、野放図にこれをやったら、世界経済が不安定になり金融危機が頻発したので、各国は規制を再び導入し、またICTの高速化も楽にできる部分はすんでしまったので、ほぼ互角なプレーヤーが市場で対峙することになって、以前ほど儲からなくなってしまった。


この辺を考えると、資本主義がうまく回るためには、単に新しい空間があるだけでは足りないことが分かる。新しい空間において、濡れ手に粟でもうかる仕組みがないと、その空間は周辺として役に立たない。新しい土地に一番乗りして、うるさい規制も、ライバルもあまりいないうちに、ぼろ儲けできる構図がないとだめだ、ということだ。


そう考えると、ビッグデータとかIoTとかはいまいちだ。注目が集まりすぎていてライバルが多い上に、データの扱いについては既に規制ががちがちにかかっていて、まず規制をゆるめないことには始まらない。どうしてもここで勝負したいなら、注目をまだ集めていない、誰も手をだしていないし、集めても誰も気にせず規制もないデータを扱うべきで、そういうデータでぼろ儲けできる使い道を見つけることを考えるべきだ。


グローバリズムが世界を滅ぼす エマニュエル・トッド、ハジュン・チャン、柴山桂太、中野剛志、藤井聡、堀茂樹


グローバル化は国家による規制の衰退。代わりに必要なのは覇権国家による規制だが、今、米国は覇権国家の責務を負えているか?


エマニュエル・トッドは識字率の向上が限界に近づいたことを指摘している。誰もかれもがそこそこ教育を受けるようになり、以前のような急激な生産性の向上は見込めなくなってしまった。


この本にたびたび出てくる、エリートの劣化、という主張は、一見、中産階級が責任をエリートに押し付ける他罰的な言葉に見えるが、実は、中産階級的な視野の狭さ、関心の狭さ、能力の欠如がエリートを蝕んでいる、という、中産階級的価値観への否定的な見方をはらんだ主張である。


藤井は、グローバル化が俗情に支えられる全体主義であることを指摘する。全体主義というとナチスを連想するが、実は全体主義が生じるには、特定の思想を必要としない。ただし、その思想の背景には嫉妬、貪欲、恐怖心などの俗情がある。


ハジュン・チャンはグローバル化の弊害を様々な事例と数字を挙げて検証する。一国の株式市場の規模に比べて、グローバルに流れる資金の規模が大きすぎるため、株式価格が乱高下する。これに対抗できるのは、中国やインドのように資本市場の解放に制限を設けた国だけ。


柴山は第一次大戦以前の世界に起きた第一次グローバリゼーションを説明し、その結果何が起きたかを手がかりにして、現在の第二次グローバリゼーションの今後を考察する。第一次グローバリゼーションは二度の世界大戦で終結し、その後はしばらくグローバリゼーションを制限する時代が続いた。第二次グローバリゼーションも大きな戦争の火種になるのだろうか。グローバリゼーションは新興国の勃興をうながし、それがパワーシフトと世界情勢の不安定化をもたらす。


トッドの識字率の向上、という指摘は、単にこれ以上の生産性向上が見込めないことだけでなく、教育レベルの不均衡を目の当たりにした人々が平等を信じなくなり、その結果、経済格差を受け入れる素地を作ってしまった、という見方を含んでいる。かつて、教育は万人に平等に機会をもたらすものだった。いまや、教育は経済格差を世代間で継承する仕組みになっている。


中野は、新自由主義と保守がなぜ同一視されるのかを歴史を振り返って論じるので、だからどうした、という感じが強いのだけど、エリートが大衆を粘り強く説得するのが難しくなっていて、比較的説明がしやすく受け入れられやすい新自由主義に活路を見出したらしい、という点は覚えておこうと思う。


全体として、この本はグローバル化が危機をもたらすという警鐘と、そしてエリートが劣化している、という嘆きばかり書いてある。異論はないが不満がある。じゃぁどうすればいいのか、についてあんまり語っていないのだ。


いや、この本の主張からすれば、グローバル化を食い止めて、ナショナリズムの回復を図るべきだと言っているのは間違いないが、この本は同時に、世界中どの国でもその方向になぜか進んでいない、その理由はエリートの劣化にある、という見立てを示している。だから、じゃぁどうすればいいのか言っていないのと同じなのだ。


100年予測 ジョージ・フリードマン


地政学でこの先100年を描いた本。目を引く点としては、中国やロシアが今世紀大きな勢力になるという見方をとらず、2040年ころまで米国が大きな挑戦を受けることがないとしていること。それから思いがけない新興勢力として日本、トルコ、ポーランドの台頭を予測していること。今世紀半ばには米国とこれらの新興勢力の間の大きな戦争が起きるが、米国はその挑戦をなんとかしりぞける。そして今世紀後半には米国の足元で、メキシコとの緊張が増す。


米国が中国・ロシアの挑戦を受けない一つの理由は、米国の軍事支出額がこれらの国の軍事費をはるかに上回り、その差が縮まる気配がないこと。しかも米国はその金を使って、地球上の全土にわたる宇宙からの監視網を構築する。これに本格的に対抗できる国は存在しない。2030年代にロシアは、米国との冷戦を小規模な形で再現するが、前回の冷戦と同様に自壊する。中国も自らの政治的、経済的な歪みのせいで分裂する。


一方、この本は、日本やトルコが伝統的な体制への回帰を目指すことを予期する。日本は長らく続いた平和路線からそれて、軍事大国化し、独自色を強める。ちょっと面白いのは、日本は国家の危機に際して、体制に大混乱を起こさずに大きな方針転換を行う、という指摘。つまり明治維新と、第二次大戦後の体制変更のことを言っている。これができる国であればこそ、再び軍事色を強める転換を果たす可能性が高い、と言う。二度あることは三度ある、というわけ。


トルコも過去100年の世俗化から逸れて、イスラムの盟主としての伝統の回復を志向する。オスマントルコの昔、トルコはイスラムの中心だった。


ポーランドが軍事大国化するのは、アメリカやドイツがそれを望むから。ロシアを封じ込める上で、ロシアと直接国境を接するポーランドは緩衝地帯として重要であり、有事にはロシアの前進を遅らせる役割を持たせたい、とアメリカやドイツは考える。その結果、アメリカと西ヨーロッパはポーランドの軍事力強化を奨励する。


今世紀半ばに、この本は、真珠湾攻撃の再来のような世界戦争の幕開けを予測し、しかもその舞台は宇宙だ。この描写は結構説得力があって面白いシナリオだけれど、さすがに50年先の話としては詳細を語りすぎているので、ここではあまり触れない。でも、読み物としては一読の価値はある。


続・100年予測 ジョージ・フリードマン


続、となっているが、この本の原題は、「次の10年」であり、2010年代の米国大統領に向かって戦略を説く、というスタイルの記述になっている。


この本の基本的なメッセージは、以下の通り。米国が取るべき基本戦略は、地球上のどの地域においても米国に匹敵しうる大きな勢力を発生させないことであり、そのために、各地域において、拮抗する対抗勢力のバランスを維持することである。


米国は、負けなければ勝ちなのであり、大勝ちする必要はなく、するべきでもない。ある地域の勢力を圧倒的に打ち負かしてしまうと、そこに力の真空が生まれ、その分、その地域のほかの勢力が強大になり、米国に挑戦しうる力を身につける恐れが生じる。その失敗をしてしまったのが、イラク戦争であり、米国はそこから学ぶ必要がある。


上記の大局観の元に、この本は世界の各地域について、比較的詳細な見立てと処方箋を論じる。この先10年の話なので、話は詳細に渡り、ここでちょろちょろ紹介したいような大括りな見立てにならない。それでも、 前に書いた ように、各地域については歴史を踏まえた分かりやすい解説が読める。


ということは……


以下妄想。


周辺を求める資本主義は、発達速度が落ちてしまった電子・金融空間に飽き足らず、本当に新しい辺境を求めて、宇宙開発を加速する。月、火星、ひょっとしたら小惑星帯も、その対象になる。


しかし、それらの新天地はやはり遠く、その開発が世界経済に影響を与えるところまで進むのは早くても今世紀後半になる。だからこそ、今世紀の間はそれらの新天地は規制もなく競争も少ない、資本主義が求める周辺として働く可能性がある。


アメリカが20世紀を迎えるまで、世界に対して影響力を持たなかったのと同様、宇宙の新天地は地政学的に米国にそれほどの脅威も興味ももたらさない。しかし、その間にも経済的には新天地は大きな存在感を持つようになる。


AIやロボットの進歩はもう何回か浮き沈みしながらも徐々に進み、今世紀後半に新天地を開拓するのは生身の人間よりも圧倒的に自律制御システムが中心になると考えられる。基本的に人が殆どいない新天地で、自律制御システムが事故を起こしても大惨事にはならない。だからこそ、大した規制もなく、大胆な自律制御が大規模に試みられ、自律制御化は宇宙で大いに発達するだろう。


ここで発達したAIが、旧世界のグローバルネットワークに進入して悪さをする、というのはありがちなシナリオ……


旧世界=地球上では、100年予測や続100年予測にあるような、米国による、負けなければ勝ち、という控え目な支配が続く。


どこかの国が偶発的にナショナリズム回帰を果たし、その結果、グローバル化の負の影響を回避して、相対的に存在感を増したりすると、それを見て、他の国々もグローバル化に背を向けることが起きるかもしれない。でも、具体的にどういう政策を取ることになるのか、素人には想像がつかないけど。アベノミクスは既にその先鞭をつけているんだろうか。通貨政策的にはそうかもね。