英検1級に受かったよ ― 2015年11月21日
どきどきしたけど、あっさり合格。歳をとってから受けただけのことはあった。でも、ほっとした。そしてとても嬉しい。


英検2級は高校か大学の頃にとった。でも、その頃は1級の説明を見て、全く受かる気がせず、受けようとも思わなかった。
時は流れて幾星霜。多少は英語が使えるようになった感じがある。でも、客観的に見てどうなのかが気になる。だから受けてみる気になった。
TOEICは6、7年前に満点取った。でもその後も仕事で、言いたいことが英語では言えないもどかしさを山ほど味わっている。だから、TOEICはやっぱり読む・聞くの試験だなぁ、書く・話すの試験としては弱いなぁ、とずっと思っている。
英検1級には、英文エッセイの問題と、英文スピーチの課題がある。これが難しい。どちらも、与えられたトピックについて、自分の意見を英語で述べなければならない。エッセイは約200字で、スピーチは2分以内。
試験前
書くほうも話すほうも、試験前に何回か練習してみた。それでわかったこと。
・僕の手書きの文章はピッチが割合決まっている。1行あたり10語。ほとんどぶれない。もちろん回答用紙の幅によるのだけど、僕が買った過去問集についていた回答用紙の幅は、本物とほぼ同じだった。あ、マークシートは、本物の方が塗りつぶすべき丸がずっと大きくて、試験会場で焦った。
・時間を気にせず喋ると、言おうと思ったことを全部言うのに、3分半から4分かかる。だから、理由を3つ言うのはやめて、2つにし、詳しく説明したくなるのを我慢するべきなのが分かった。その方がぼろも出にくいのでラッキー。
結果を見ると、やはり、読む・聞くに比べて、書く・話すの得点がはっきり低かった。わかっていても結構ショック。そんなにはっきり言うなよ……
一次試験
一次試験の会場は、家の近くの中高併設の大学のキャンパス。1級から5級までみんな受けに来ているので、すごい人数。中高生に交じって年寄りが一緒に何かする機会なんてなかなか無い。不思議な気分で、でも面白かった。今時の英検は小学生も受けていて、保護者の待合室がある。
1級の試験が行われる教室では、さすがに中高生は見かけなかった。僕のようなおっさんも多いが、20代に見える人も結構いる。若い人では女性の方が多め。まぁ、とある試験会場のとある教室での話に過ぎないけど。
試験が始まると、頭から順番に解いていったのだけど、こっちが最初のページをまだやっているのに、もう問題用紙のページをめくっている奴がいる。焦る。
僕は苦手な英作文=エッセイに使える時間が無限にほしい。だからそれ以外のマークシート問題をできるだけ早く解き終わるのに勝負をかけていた。筆記の試験時間100分のうち、60分以上を英作文に残すのが目標。本番では60分はちょっと切ってしまった。
結局、英作文は見切りをつけてあまり粘らなかったので、最後に少しだけ時間が残った。最初の方の語彙の問題で、迷った処に印をつけておいたので、そのうちいくつかをもう一度考えて、答えを変えた。変えた方であってた v(^_^)。
リスニングは、聞く方は楽だったが、音声を聞くのと並行して、問題の背景や回答の選択肢を読むのがつらい。
さらに、聞く方も、最後の問題で困難が。ラジオ番組でのインタビュー、という体裁の問題で、インタビューを受けている人のアクセントがきつくて、聞きとれーん。たぶん、イギリスの労働者階級のアクセント。ダウントン・アビーの調理場にいるデイジーの話し方に似ている。山勘で答えを決めたら、あってた v(^_^)。でも、聞き取れてたつもりの、その前の問題で一つ間違えてた。
結局、筆記の英作文以外とリスニングは間違い2つで済み、出来の悪い英作文をカバーできた。
二次試験
二次試験の会場は、都内の語学学校。来ているのは1級の受験者のみ。それでもかなりの人数。最初通された待合室には、18人しかいなかったが、それだけでも一人10分で面接すると、3時間かかる。待合室はほかにももっと大きい部屋がいくつかあるようだ。どうするんだろう、と思っていたら、面接室が少なくとも5部屋あるのがわかった。もっとあったと思う。各部屋の前に3席ぐらい、順番待ちの席が設けてある。
一次試験の時と違って、この日は未成年が結構いた。制服姿の高校生もいる。ハーフとわかる容姿の子もいた。おっさんもいるけど、20代多し。みんなすごいなぁ。
面接室の前で待っていると、面接室からスピーチの声が聞こえてくる。何を言っているかまではわからない。というかわかりたくない。他の受験者のレベルが高いことなんて知りたくない。でも、よどみなく喋っていることだけは分かる。うーん、めっちゃ緊張する。なるべく椅子にゆったり座るように姿勢を変えて、心を静める。あ、向こうの面接室から、高校生がすごくニコニコしながら出てきたよ。
僕の面接官は、欧米系の年輩の男性と日本人の女性だった。受験者用に、机と椅子と、その隣にもう一つ椅子があり、どっちに座っていいか迷った。結局、机の前の椅子に座るよう指示される。もう一つの椅子は荷物用。
英検のWebページや参考書には、問題カードを渡される、と書いてあるけれど、この日、問題カードは机の上に伏せておいてあった。指示を受けて表を見て、面接が終わったら、また伏せて置くように言われた。
最初の日常会話では、軽く自己紹介してくださいと言われた。苦手なんだよ、自己紹介。自己が固まってないから。数年前まで、ドイツにいた、と言ったら、ドイツ語は覚えましたか、と聞かれた。読めるようにはなったけど、喋れない、と返事をして、英語もそうだなぁ、と情けない気分に。
指示を受けて、問題カードを見る。時事問題がでるかと思って、ヨーロッパの難民問題と、TPPについては試験の日までに意見を決めてあった。でも、この日の問題には、どちらのトピックもなかった。さぁ困った。根拠を2つ以上挙げて意見が言えそうなトピックがなかなか見つからない。時間切れで、根拠を一つしか思いつかないまま、トピックを決める。
日本に駐留する米軍の存在について、必要である、とコンサバな意見を述べた。自分でも反論したい意見だが、言いやすい方に倒した。根拠が足りないので、予想される反論を一つ挙げて、それに対する解決策を述べた。いや、実際には英語で表現しきれなかったんだけど、まぁそんなことを述べて、最後にサマリを述べたら、ちょうど計時係の人が、二分経ちました、と言った。
質疑では、駐留米軍の弊害についてどう思うか、聞かれたので、沖縄ではいろいろ問題が起きているが、完全に防ぐのは難しい、事故は起きる、と述べた。できることはないのか、と重ねて聞かれたので、少なくとも政府は沖縄の人との対話を増やすべきである、と述べた。まずい、男性面接官は全然納得した顔をしていない。今、書いていて、僕だって納得しない。男性面接官はもう一つ聞こうとしかけたが、女性面接官が先に別のことを聞いた。最近あった、集団自衛権法案の決議についてどう思うか。あの決議には反対である、集団自衛権自体は必要な場面があると思うが、今の政権は、米国支援のために中東に人を送ることを強調しすぎている。アジアの平和維持のために、やるべきことをもっと議論するべきだ。そこで時間切れ。礼を述べて、Have a nice day!といって退室した。ドイツの同僚は、ドイツ語の挨拶を英語にしてそういうことをよく言うのだけど、英語ではあまり言わない表現かもしれない。
振り返ってみると、何言ってんだか、自分でも分からん。筋の通らないことでもしゃべり続けることはできるんだなぁ。
でも、面接が終わった直後の気分はかなり晴れ晴れしていた。詰まらずにしゃべり続けられただけでも僕にしては上出来。
会場の入り口を出ると、英検対策講座のチラシを配る人たちが待ち構えていた。それって、僕が不合格と決めつけてないか。そうかもしれないけど、気分悪いぞ。
蓋を開けてみると、スピーチが30点中24点、質疑応答と文法・語彙が満点、発音が20点中18点だった。かなり甘い採点をしてくれている。
終わってみて
試験を受けたのなんて、ずいぶん久しぶりだったので、いろいろ面白かった。落ちても自尊心が痛む以外になんの支障もなかったので、テーマパークに行ったようなものだ。だからといって、もう一度受ける気にはならない。次に受けたら、点数が減りそうだし、うかっとすると落ちかねないし。すごく怖いジェットコースターに乗ってきた感じか。
この年になるまで、うん十年の時間があり、その間に英語の経験を積む機会があった。だから、あまり試験勉強をしなくても1発合格できた。でも、苦労してでも20歳そこそこで1級合格する人も多い。そういう人が、うん十年の経験を経たときに、どこまでの境地に達しているのだろう。僕はどこまでそれに、今から追いつけるだろう。
戦後入門 ― 2015年11月23日
アメリカは原爆投下を罪深いことだと感じていたのか、少なくとも投下直後のしばらくは。
戦後入門 加藤典洋 ちくま新書
新書なのだけど、厚さ2cmある。内容は深いけど、語り口はとても分かりやすい。込み入ったアイデアを、まず概略を示して、個別の項目を解きほぐして、そして最後にもう一度組み立てなおして意味を再確認する、という感じでゆっくり丁寧に説明してくれる。
そして今まで読んだことのない話と、今まで聞いたことのない提案がかかれている。
僕が一番知らなかったのは、原爆投下前後に、何人ものアメリカ人が投下を阻止しようとし、また投下を罪深いことだと感じていた、という話。以下、本書の第三部から、抜き書き。
科学者たちが、連名で政府に対して原爆投下を考え直すよう訴えた、という話は、なんとなく聞いたことがあった。その先駆けになったのは、世界的に有名な核物理学者のニールス・ボーアだった。
1944年6月に、ボーアは米国のルーズベルトと、英国のチャーチルにも直接会見して、原爆の秘密をソ連に開示して共同管理下に置くように提言した。
1944年11月には、米国政府が原子力計画に向けて組織した委員会が、報告の中で、原子力は将来国際管理機関の下に置くべきである、と述べた。
1945年6月には、やはり政府に指名されたシカゴ大学の科学者たちが、国際管理に向けた努力が必要という報告を提出した。この報告は、日本に原爆を投下すれば、全世界の人々の支持を失う、とも述べている。
1945年7月には、原爆開発にかかわった科学者68名が、トルーマン宛に要請書を提出した(結局届かなかった)。そこでは、日本への原爆投下を厳密な条件のもとのみで行い、その道義的責任を熟慮するべきである、と述べている。
科学者たちがこのように考え、行動したのは、驚くような話ではない。彼らは原爆の威力を、誰よりもよく理解していたし、その秘密を米国が長く独占しておけないこともよくわかっていた。
僕が驚いたのは、米国や米軍の首脳が、原爆投下に後ろめたいものを感じていたこと。だからこそ、彼らはそれを糊塗しようとしていた。
広島への投下直後の大統領声明は、「日本陸軍の重要基地であった広島」に投下した、と嘘をついている。さらに8月9日の声明では、「軍事基地の広島」に投下したのは「民間人の殺戮を避けたいと思ったから」とまで述べている。
陸軍長官のスティムソンは、8月8日に辞任し、9日に声明を発表した。そこでは、原爆投下は満足すべきことであるが、「より深い感情からの影がさしてくるのをどうすることもできない」と述べている。
アメリカのカトリック雑誌は9月号で、原爆投下の罪について述べる。プロテスタントの代表的な神学者も、原爆が使用されたことに「胸騒ぎと不満」を表明する。
保守系の雑誌オーナー、デイヴィッド・ローレンスも批判を発信した。「合衆国は何をおいても原爆を非難し、それを使用したことについて日本に謝罪すべきだ」とまで主張した。
1946年8月には、ニューヨーカー誌が全誌一冊まるごとを使い、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」を掲載する。このレポートは今もここで読める。広島の投下の現場に居合わせて奇跡的に助かった日本人6人のその日の様子が、彼らと同じ高さの目線で語られている。
これに対し、首脳陣は深刻な危機感を覚え、全力で対抗策を打つ。ハーバード大総長だった、ジェームズ・コナントの指揮の下、雑誌ハーパーズに、引退後のスティムソン名で「原爆使用の決断」という寄稿文を発表する。これも、今もここやその他あちこちで読める。
この記事が広めたのが、原爆投下によって日本上陸作戦が回避され、多数の米国兵士の命が救われた、という主張で、僕が米国の典型的な主張だとこれまで認識していたものでもある。確かに、この記事によって、原爆投下に対する米国内の批判はピタッと止んだ。
まとめると、原爆投下当時、米国でも当たり前に原爆投下に対して罪を感じた人がたくさんいて、投下を推進した側の人々ですら、それを感じていた。だからこそ、正当化に大きな労力を費やした。
ちょっと立ち止まって考えれば、そうだっただろうと思えるが、今までそんな風に考えたことはなかった。
この本は、この後、日本の原爆への反応や、戦後日本の構造に説明を進める。
そのあとに来るのは、いままで見かけたことのない、憲法9条の理念を守る立場からの、改憲の提案だ。
日本が中国や韓国からの戦争責任追及に真剣に向き合えないでいる理由として、この本は、日本が米国の軍事的庇護下にあり、米国の原爆投下の罪を表立って問えないでいる、という歪みがあることを指摘する。
米国による事実上の占領に対して、反米を訴えると、これは戦後の国際体制に背を向けることになり、戦前の孤立に戻ることになる。
米国追従を解消しつつ、国際社会への参加を確保するには、国際社会が目指す理念を日本が先取りしてみせるしかない。それが、この本が提案する、憲法9条の強化の方向性だ。
具体的な改憲案は本を読んでもらった方がいい。今まで見た、右や左の議論とは違う議論が読める。
理念というのは、それを目指すのが楽だから目指すものではない。むしろ実現には逆説的な状況を乗り越える必要があったりする。困難を克服してでも実現する価値があると多くの人が思えるかどうかが、理念の存在意義だと思う。