アシモフ自伝 ― 2014年05月03日
アシモフの本が好きだ。ファウンデーションシリーズも、ロボットシリーズも、もちろん好きだけれども、一番好きなのは、アシモフが自分のことを語っている文章だ。アシモフの短編集には、しばしば各短編に前書きが付いていて、そこでその話を書くに至った経緯とか、そうでない話が好きなように書いてある。これがとても面白い。僕は本編よりもこっちが楽しみになってしまった。なので、アシモフの自分語りが思いっきり読める、アシモフ自伝が、僕にとって特別大事な本なのは、ごく当たり前なのだった。
と、言いつつ、長年ウチの書棚には4巻、いや、IIの下が欠けていた。大学の頃、サークルの部室にしばらく置いといたら、IIの下だけ戻ってこなかったのだった。諦めて、3冊だけずっと持っていたのだけど、先日、衝動買いで中古を入手して、めでたく4冊揃った。この記事はその記念。ドヤァ。
残念なことに、やっと手に入れたIIの下には、帯がついていない。これはショックだった。何年か後に、帯付きのIIの下をまた買ってしまうんじゃないかと思う。
僕はアシモフの本から色んなことを学んだつもりでいる。いわゆる「人生で必要なことは、すべて○○で学んだ」ってやつだ。
そのうちの一つについて、以下に書いてみる。
何かを分かりやすく説明するためには、一番最初のその前の、そのまた前から説明するといい。
アシモフは、小説ではない、ノンフィクションの解説本を山ほど書いている。そのうち、科学に関するいくつかは、早川文庫から出ている。その辺を読みふけって思ったのが、どうしてこんなに分かりやすく書けるのだろう、という感嘆半分、嘆き半分の感想だった。
そのころ、僕は論文の書き方を身に着けようとして苦しんでいて、指導してくれていた人から、何度も何度もダメだしを食らっていた。言われてみると、確かに自分の文章は意味が通じない。仲間内には通じるのだけれど、初めてその話を聞く人にも分かるようにはなっていなかった。分かる文章の書き方のヒントを求めて、自分なりに色んなものを参考にしようとした。アシモフのノンフィクションもその一つだった。
アシモフの文章は確かに分かりやすい。そしてその理由は、僕が見たところでは、話をとことん遡った大元の最初の初めのその3つ前、ぐらいから始めるところにある。彼のコラムの書き出しは、しばしばコラムの主題とは全くかけ離れたところから始まる。それが次第に展開し、やがて主題にきっちり繋がるところは本当に分かりやすく心地よい。
しかし、その手法は、自分の論文書きには使えなさそうだった。論文は与えられた形式を外してはいけない文章だし、ページ数も限られているので、話を遡るにはかなり制約がある。自分のコラムを持っていて、編集者の口出しを許さない実績を持つ筆者にしか許されない手法なのだった。
アシモフは、与えられた形式にそって文章を書くことを嫌っていて、戦時中、軍に所属していたときに、報告書の形式にあまりに細かい規定があるので、いたずらとして、その規定に逐一沿った、とても読みにくい報告書をわざと書いたことがある。ところが、その報告書は規定に沿っていると賞賛され、以降見本として使われたそうだ。これはアシモフ自伝 Iの下 36章1、67ページにある。。
一方、これとまったく逆の、黄金のアドバイスもある。これはアシモフ自身が、アシモフを見出した編集長キャンベルから言われたことだ。アシモフ自伝では Iの上の26章1, 342ページにある。
話の書き出しは、自分が一番書きたいと思うところから始めればいい。
これは、どちらかというと小説に当てはまることらしいのだけど、とにかく一番書きたいところから始めるとスムーズに書ける。その場面より前のシーンの話は、後の章で何とでも説明ができる。こちらの方が、素人にも真似しやすくて、このブログを書くときにも重宝している。
ところで、アシモフはこんな厚い自伝を書いても、まだ全然書き足りていなかった。そして彼が自分で言うには、彼がもっとも好んで書くテーマは、自分なのだ。なので、ある意味当然ながら、アシモフは(少なくとも)もう一つ自伝を書いている。
I. Asimov - A Memoir Isaac Asimov
これは、アシモフ自伝の続きではない。アシモフ自伝が時系列で書かれているのに対し、こちらはアシモフが書きたいと思ったテーマについて順不同で書いてある。アシモフ自伝よりはずっと後に書かれているので、カバーしている期間は晩年までを含む。アシモフ自伝は、彼の人生の半ばまでしか扱っていない。これが書かれたのは、ファウンデーションシリーズ第4巻の大ヒットで彼が「往年の」ではなく「現在の」ベストセラー作家としてカムバックするより前なのだ。
I. Asimov には、アシモフがなくなってから、奥さんの Janet が書いたあとがきがある。アシモフが自分で書けなくなってからの最晩年の様子までが書かれている。そういう意味で、最後はしんみりする。
それでも、そこに書かれている、有名なエピソードはなんだか元気が出る。ある晩、アシモフが起き出してきて、奥さんにしきりに何事かを言おうとする。
「私は……私は……私はアイザック・アシモフだ!」
僕も、そんな風に、死ぬまで自分のことが好きなままでいたい。
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