異星人の郷 ― 2010年12月19日
だってさぁ、中世ヨーロッパといえば、「薔薇の名前」とか「大聖堂」とかその続編とか、読み応え抜群の長い話がすぐ頭に浮かんで読書欲をそそるでしょ?
一方、現代物理学の方は、もう分かるふりをするのもあきらめて久しいけど、小学生の頃にブルーバックスを読み漁って以来、時々はその手のポピュラーサイエンス本をチェックせずにはいられず、 "The Fabric of The Cosmos" とか「ワープする宇宙」とか見かけるとつい買ってしまう。"Fabric ..."の方は途中で投げ出したけど。
で、当然のように「星を継ぐもの」を中学生の頃に読んではまり、何度も何度も読み返した覚えがあって、あの体験を超えるものをいまだに求めている。ジェームズ P ホーガンさん、先日亡くなりましたね。それをきっかけに、また買って読み直してしまった。あの面白さはまだ全く失われていませんでいた。
で、異星人の郷は、そういう昔読んだ色んな本を思わず思い出し、かつ、どれと比べてもかなりいい線を行く本でした。残念ながら「星を継ぐもの」には届かないけれど。
以下、思い切り内容に触れます。
[中世]
中世のシーンは、上ホーホヴァルトという、城と教会とその回りに広がる村が舞台です。
===> イギリスとドイツで国は違えど、「大聖堂」をまず思い出す。時代はほぼ同じ。「薔薇の名前」もそう。
主人公は教会の司祭ディートリッヒ。彼の過去には、しかし、二重に意外な経歴がある。
一つは、彼はパリの大学で高名な学師ジャン・ビュリダンに学んだことがあり、そこでウィリアム・オッカムとも親交を持っていた。
===> 「薔薇の名前」の主要登場人物の一人、ウィリアム・ダ・バスカヴィルは、推理の達人であり、シャーロック・ホームズ(「バスカヴィル家の犬」)と同時に、オッカムを念頭において作られた人物。
さらに、彼は12年前に、アルムレーダーという、狂乱の中で多数の裕福なユダヤ人の邸宅を襲った民衆の蜂起に参加しており、それを悔い、かつ復讐を恐れてその過去を隠している。
===> 「薔薇の名前」に出てくるサルヴァトーレもかつて異端の信徒の蜂起に参加したことを隠して暮らしています。
また、ヨアヒムというフランシスコ会士が、自分を鞭打つ場面が出てきます。
===> これも「薔薇の名前」の映画にそういうシーンがあったのを思い出します。
こんな感じで既視感いっぱいなんですが、意外なこともあります。
みんなあまり迷信深くないのです。ディートリッヒとか、オッカムは当然としても、領主も、村人ですら、とても真っ当にものを考えます。キリスト教の影響は強いけれど、絶対視しているわけではない。一部にとてもかたくなな人物も数人いますけど、回りの人々からは変わった人として見られています。
今まで読んだ小説だと、一部の人物を除いて他は迷信深い人ばかり、となっていたので、現代的過ぎる気もしますが、この本を読むと、この時代にも人はそのくらいまともに考えていてもおかしくない、という気がしてきます。
また、ペストの恐怖が克明に描かれています。「大聖堂」でも村はペストに襲われて、物語の重要な一部になっていますが、この本だと、一人ひとりの病状や苦しみがかなり詳しく語られていて、単に死の病という以上にここまで恐ろしい病気だったのかと思います。
[現代]
現代のシーンでは、シャロン・ナギーという女性物理学者が出てきます。
===> 「ワープする宇宙」の著者リサ・ランドールを思い出すのは、まぁ、勝手な連想ですが、僕だけじゃないと思う。
シャロンはジャナパー空間という、架空の物理理論を四苦八苦しながら構築するわけですが、その中で、色んなアイデアに言及します。その一つが、光速が一定ではなく、宇宙の年齢と共にだんだん遅くなっている、という、光速変動理論。
===> 「光速よりも速い光」はまさに光速変動理論(VLS)を扱った、ポピュラー・サイエンス本。少なくともまともな物理学者がまじめに取りざたしていた理論ではあるらしい。
シャロンは自分の理論が正しければ、インフレーションなどを想定する必要がなくなる、と語ります。
===> 「なぜビッグバンは起こったのか-インフレーション理論が解明した宇宙の起源」は提唱者のアラン・グースが自ら解説した楽しい本でした。
こんな感じで既視感いっぱいなんですが、意外なこともあります。
シャロンの論拠の一つは、銀河の赤方偏移が量子化しているって話なんですが、これは初めて聞きました。そうなの?ググっても簡単にはあんまり出てこない。知る人ぞ知る?
- * - * - * - * - * - * -
(トムについて語る気が起きないのはなぜだろう…)
- * - * - * - * - * - * -
そういうわけで、色々な本を思い出しながら読んでましたが、途中で一番思ったのは、
「これはホーガンの『造物主の掟』の裏返しだ」
ってことでした。「造物主の掟」は、土星の衛星に太古に墜落した異星の機械が進化を遂げて、ちょうど中世ヨーロッパレベルの社会を築いて暮らしていたところに地球から科学者の一団がやってきてファーストコンタクトする、って話でした。
全体の構図がとてもよく似ている一方、人間と異星人(人じゃないけど)の立場が入れ替わっているだけでなく、中世を支配するのが迷信か理性かでも違うし、何より「造物主の掟」がほとんど脳天気なまでに明るいのに対して、「異星人の郷」は辛いシーンが多く、特にペストに襲われてからの中世のシーンは悲惨です。
それだけに、最後に現代のシーンに話が戻るとほっとします。
最後の現代のシーンでは、落ちがいくつか語られます。残念ながら、「星を継ぐもの」のラストシーンほどのインパクトはありません。でも、読後感はさわやかです。
- * - * - * - * - * - * -
…下方空間へ出発したゲシェールトの殿様たちは、実は故郷への帰還に成功していた。彼らは、ハンスたちの救出に戻ってくるが、ハンスはすでに死んでいて、死にかかっていたディートリッヒは異星人たちと下方空間を渡り、時間をも越えて現代に運ばれた。鋭い理性で現代への適応を成し遂げたディートリッヒは、歴史学者となり、やがてフライブルク大学に職を得た。アントン・ツェングレの名で。
という妄想が頭から離れない。
一方、現代物理学の方は、もう分かるふりをするのもあきらめて久しいけど、小学生の頃にブルーバックスを読み漁って以来、時々はその手のポピュラーサイエンス本をチェックせずにはいられず、 "The Fabric of The Cosmos" とか「ワープする宇宙」とか見かけるとつい買ってしまう。"Fabric ..."の方は途中で投げ出したけど。
で、当然のように「星を継ぐもの」を中学生の頃に読んではまり、何度も何度も読み返した覚えがあって、あの体験を超えるものをいまだに求めている。ジェームズ P ホーガンさん、先日亡くなりましたね。それをきっかけに、また買って読み直してしまった。あの面白さはまだ全く失われていませんでいた。
で、異星人の郷は、そういう昔読んだ色んな本を思わず思い出し、かつ、どれと比べてもかなりいい線を行く本でした。残念ながら「星を継ぐもの」には届かないけれど。
以下、思い切り内容に触れます。
[中世]
中世のシーンは、上ホーホヴァルトという、城と教会とその回りに広がる村が舞台です。
===> イギリスとドイツで国は違えど、「大聖堂」をまず思い出す。時代はほぼ同じ。「薔薇の名前」もそう。
主人公は教会の司祭ディートリッヒ。彼の過去には、しかし、二重に意外な経歴がある。
一つは、彼はパリの大学で高名な学師ジャン・ビュリダンに学んだことがあり、そこでウィリアム・オッカムとも親交を持っていた。
===> 「薔薇の名前」の主要登場人物の一人、ウィリアム・ダ・バスカヴィルは、推理の達人であり、シャーロック・ホームズ(「バスカヴィル家の犬」)と同時に、オッカムを念頭において作られた人物。
さらに、彼は12年前に、アルムレーダーという、狂乱の中で多数の裕福なユダヤ人の邸宅を襲った民衆の蜂起に参加しており、それを悔い、かつ復讐を恐れてその過去を隠している。
===> 「薔薇の名前」に出てくるサルヴァトーレもかつて異端の信徒の蜂起に参加したことを隠して暮らしています。
また、ヨアヒムというフランシスコ会士が、自分を鞭打つ場面が出てきます。
===> これも「薔薇の名前」の映画にそういうシーンがあったのを思い出します。
こんな感じで既視感いっぱいなんですが、意外なこともあります。
みんなあまり迷信深くないのです。ディートリッヒとか、オッカムは当然としても、領主も、村人ですら、とても真っ当にものを考えます。キリスト教の影響は強いけれど、絶対視しているわけではない。一部にとてもかたくなな人物も数人いますけど、回りの人々からは変わった人として見られています。
今まで読んだ小説だと、一部の人物を除いて他は迷信深い人ばかり、となっていたので、現代的過ぎる気もしますが、この本を読むと、この時代にも人はそのくらいまともに考えていてもおかしくない、という気がしてきます。
また、ペストの恐怖が克明に描かれています。「大聖堂」でも村はペストに襲われて、物語の重要な一部になっていますが、この本だと、一人ひとりの病状や苦しみがかなり詳しく語られていて、単に死の病という以上にここまで恐ろしい病気だったのかと思います。
[現代]
現代のシーンでは、シャロン・ナギーという女性物理学者が出てきます。
===> 「ワープする宇宙」の著者リサ・ランドールを思い出すのは、まぁ、勝手な連想ですが、僕だけじゃないと思う。
シャロンはジャナパー空間という、架空の物理理論を四苦八苦しながら構築するわけですが、その中で、色んなアイデアに言及します。その一つが、光速が一定ではなく、宇宙の年齢と共にだんだん遅くなっている、という、光速変動理論。
===> 「光速よりも速い光」はまさに光速変動理論(VLS)を扱った、ポピュラー・サイエンス本。少なくともまともな物理学者がまじめに取りざたしていた理論ではあるらしい。
シャロンは自分の理論が正しければ、インフレーションなどを想定する必要がなくなる、と語ります。
===> 「なぜビッグバンは起こったのか-インフレーション理論が解明した宇宙の起源」は提唱者のアラン・グースが自ら解説した楽しい本でした。
こんな感じで既視感いっぱいなんですが、意外なこともあります。
シャロンの論拠の一つは、銀河の赤方偏移が量子化しているって話なんですが、これは初めて聞きました。そうなの?ググっても簡単にはあんまり出てこない。知る人ぞ知る?
- * - * - * - * - * - * -
(トムについて語る気が起きないのはなぜだろう…)
- * - * - * - * - * - * -
そういうわけで、色々な本を思い出しながら読んでましたが、途中で一番思ったのは、
「これはホーガンの『造物主の掟』の裏返しだ」
ってことでした。「造物主の掟」は、土星の衛星に太古に墜落した異星の機械が進化を遂げて、ちょうど中世ヨーロッパレベルの社会を築いて暮らしていたところに地球から科学者の一団がやってきてファーストコンタクトする、って話でした。
全体の構図がとてもよく似ている一方、人間と異星人(人じゃないけど)の立場が入れ替わっているだけでなく、中世を支配するのが迷信か理性かでも違うし、何より「造物主の掟」がほとんど脳天気なまでに明るいのに対して、「異星人の郷」は辛いシーンが多く、特にペストに襲われてからの中世のシーンは悲惨です。
それだけに、最後に現代のシーンに話が戻るとほっとします。
最後の現代のシーンでは、落ちがいくつか語られます。残念ながら、「星を継ぐもの」のラストシーンほどのインパクトはありません。でも、読後感はさわやかです。
- * - * - * - * - * - * -
…下方空間へ出発したゲシェールトの殿様たちは、実は故郷への帰還に成功していた。彼らは、ハンスたちの救出に戻ってくるが、ハンスはすでに死んでいて、死にかかっていたディートリッヒは異星人たちと下方空間を渡り、時間をも越えて現代に運ばれた。鋭い理性で現代への適応を成し遂げたディートリッヒは、歴史学者となり、やがてフライブルク大学に職を得た。アントン・ツェングレの名で。
という妄想が頭から離れない。
コメント
_ HansCastorp ― 2011年03月03日 17時51分40秒
_ lackthereof ― 2011年03月04日 20時54分42秒
_ HansCastorpさん、コメントありがとうございます。同じように感じた人がいたのが分かると嬉しいです。しかも、そう感じた理由を的確に言い表していただいて、わが意を得たりです。
_ ハンス ― 2011年12月28日 18時11分22秒
上巻は「はじめに アントン」から始まります.従って,アントンが何者かであることは間違いないと思います.ただし,外見の描写がないので決定的なことは分かりません.Webでヒントを探していたところです.私的にはヨアヒムじゃないかと思っています.
_ lackthereof ― 2012年01月04日 23時26分09秒
ハンスさん、そうなんですよね。アントンの扱いがたまたまにしては特別すぎる気がします。何らかの形で解題が欲しいところです。というか、続編書いてほしい。ハンスさん的にヨアヒムな理由はどの辺に?
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実は私も最後のシーンはそういう暗示かなと感じました。全体を通してトムやら現代の部分の必然性が感じられない。人物像も掘り下げがない。中世だけでも十分なりたちそうな展開。最後のシーンで、フライブルク大学の「わたし」が突然、一人称で登場する唐突感。ここまで客観描写できた作者が、最後だけに一人称の語り手を登場させるには理由があるはずと感じました。
ディートリッヒは現代にやってきても、十分適応できそうだし。。。でもそれをあからさまに書いたのでは、やすっぽいハリウッド映画になってしまうからこういう含みを残したのかなと。。。。